人生の迷子から、自分軸を貫く生き方を確立した。| 島田隆則

目次
中川 晃雄
株式会社GOAL-B CEO
株式会社GOAL-Bの創業者。有料職業紹介事業 (許可番号: 13-ユ-314850)月間20万PVの個人ブログを運営し、登録者数12万人のYouTubeチャンネル「AKIOBLOG」を運営。自身が経営する株式会社GOAL-Bで、累計2000人超が受講したキャリアコーチングサービス「キャリスピ」を提供。著書「本気の副業術(西東社)」

ご挨拶

初めまして、こんにちは、こんばんは。
株式会社GOAL-B 島田隆則(しまだたかのり)です。

現在は、GOAL-Bに所属しながら、
ジム経営、取締役、各事業立ち上げの支援などを行っています。

これを読んでいる方の中で、
これから自分の人生をどうしていこうか
何が自分の生き方なのか、など、
迷われている人もいるかもしれないですが、

読み進めていくことによって、
自分の弱さと情けない過去に徹底的に向き合った結果、自分の人生を本気で生きることに夢中になり、未来を現実にしていく姿」が垣間見れるかと思います。

そして、
何者でもない自分でも、自分に本気で向き合った結果、どこまでも可能性を広げることができる、もっともっと人生をぶち上げることができる」
そう感じ取っていただき、

「こんな自分での人生はもっと豊かになる!」
それを下記の文章から見出していただけたら嬉しいです。

それでは、どうぞ。

認知科学をもとにした株式会社GOAL-Bのコーチング『キャリスピ』というサービスがあります。
社会人であればコーチングセッションの大半が“キャリアの領域”になり『キャリスピ』の得意領域。
5,500円の体験コーチングが今なら無料で受けられるので、1分で気軽に申し込んでみましょう。

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【今:何をしているか】

どんな生き様を持った人なのか、の前に、そもそもお前、
今何してる人なの?という話だと思いますので、簡単に。
私は、現在(2022年2月14日時点)、下記の活動をしております。

【プロフィール】

島田隆則(しまだたかのり)
1991年7月23日 A型 獅子座

【やっていること】

①会社員 (株)リクルート 中途求人広告のCS部門(2022年2月14日時点)

②パーソナルジムの経営(パーソナルジム B_e Fitness
BestBodyJapanの選手を中心としたパーソナルトレーニングの提供

株式会社RASCAL’sの取締役(2022年3月から)
・トレーナーのオペレーション支援ツール「GIMMY」の開発
・トレーナー向けのビジネススキル養成講座「GIMMY Grit」の開発

CLOUD GYM(オンラインジム)チーフトレーナー&組織開発担当
・トレーナーの教育・マネジメント・人材戦略・組織開発

⑤コーチングの提供(サラリーマン・経営者・個人事業主・トレーナーなど)

まだまだ挑戦したいこと、現実にしたい未来が山ほどありますが、
現在は、上記の中心に、今という人生を生きています。

そして、これまでどんな実績・経歴があるか、については、
GOAL-Bの私のプロフィールより参照いただければと思います。


【どんな経歴か】

経歴について(https://goal-b.co.jp/coaching/coaches/takanori_shimada/

ざっと上記のような経歴なのですが、
この裏には正直、イケてない人生が隠れています。

父の死・自信も何もない大学生時代・遅れてきた反抗期・お酒や女に溺れる社会人、こんな過去があります。

今本当に思っているのは、このままじゃ死ねない。
今に絶望し、圧倒的な未来を渇望しております。

現在、30歳(2022年2月14日時点)ですが、自信を持って人生本当に楽しい!と思えたのは、最近のたった2年です。

それまでは、どんな人生だったか、何があり今に至るのか、どうして上記のような活動をしているのか、過去から現在につながるお話をさせていただければと思います。

しかしながら、幼少期から全部は長い!と思われる方は、「大学」まで飛ばして読んでいただいてもいいかなと思います(^^)


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【過去:どんな人生であったか】

会社員・複業/フリーランス・経営者・取締役など、様々な側面を持って人生にチャレンジをしておりますが、
2019年8月頃までは、どうしようもないイケてなさすぎる人間でした。

■幼少期 タイ 父親への憧れ 生き方

1991年、日本人の父親とタイ人の母親の間の長男として、横浜で誕生。
父は自営業を行っており母はそれを手伝っていました。
3歳くいらまで、タイの実家、チェンマイで育ち、幼稚園前に帰国、そこからずっと日本暮らしですが、2年に1回ほど、チェンマイに帰る生活を送っています。外遊びが大好きな少年でしたが、卵牛乳アレルギーがあり、体弱かったため、父親に釣り・キャンプ・空手・野球・サッカーいろいろやらされていました。そのおかげか、小学校では1年生からずっとリレーの選手・休み時間は常にドッジボール・体育では女子の注目独り占め、そのくらい運動神経が磨かれた時期だったなーと感じます。
父は、自分の憧れの人の1人なのですが、スーツを着ている姿をほぼ見た事がなく、自営業をやりながら、趣味の車に打ち込み、家族も大事にしながら、地域の消防団にも表彰されるほど精を出す。幼少期には、平日、僕ら兄弟の学校を急に休まされ、突然キャンプに行くことも。
今となっては、父のこの「やりたい時にやりたいことをやる」的な生き方に強く影響を受けています。

■小学生 父の死 野球 長男としての責任

当時は、父の影響で、野球にかなり熱中していました。朝、放課後、夜、土日、時間があれば、素振り・壁当て。友達と遊ぶにも野球。とにかく野球をとことんやっていました。しかし、転機が訪れました。僕が10歳の時、父が急死。母子家庭へ。当時は、母親の様子や4歳下の弟を見て、小さいながらも責任感を持たないと、という意識が芽生えていた気がします。父が急死したことで、弟も含め学校でからかわれることも。僕はいいけど弟を守る、そんな時期でした。母子家庭となったため、母親は常に働きに出ており、家族の会話も減っていくんですよね。忙しい母親の顔色を伺っており、この頃から、良い意味で大人っぽかったですが、悪い意味で、ずっと自分を押し殺しながら過ごしていました。当時はそれが当たり前でしたが、今振り返れば、すっごく寂しかったです。しかし、この経験があるから、素敵な家族を持ちたい、カッコいいパパになりたい、生きてるだけでハッピーだし、健康こそ全てのベースだよね、そう捉えられており、今の生き方を作ってくれています。

■中学校 母への想い 挫折

父の死をきっかけに、長男としての責任感からか、絶対プロ野球選手になって母を楽にさせるぞ!、そう考え、本気で取り組んでいた野球でプロを目指すことになります

しかし、中学2年生で、人生で初めての挫折を経験します。夢を叶えるべく中学進学と同時に加入した「シニアチーム(硬式野球)」を辞めることになります。当時は、相当泣いたのを覚えてます。辛かったですね。でも当時は「何が辛かったのか」は分かってなかったです。大人になり、避けてきた「情けない過去に向き合う」ということを通じて、やっと内省されてきましたが、当時はこの苦しみの招待が理解できてなかったです。

辞めた理由は、簡単に言うと、「楽しくなくなった」からです。1年生の初めは中学3年生の試合にも出ていましたが、だんだん活躍できなくなります。今では身長が180cmあり背の高い分類ですが、当時は背の順でも前から3番目くらいの身長で、成長が遅く、他の選手のフィジカルがどんどん強くなり、周りがどんどん台頭していきました。踏ん張れ!、そう、小学生の時であれば絶対に踏ん張ってました。でも、踏ん張れなかった。頑張れなかったんです。

その理由は、今大人になってからやっと内省・言語化することができましたが、「心から楽しいと思えなくなったから」です。その背景は「野球を頑張るぞ!という想いには、母親のため、母を楽にしたい、長男としての責任、という気持ちがあり、「自分自身のための人生」ではなく、【母親のための人生】を歩んでいました。でも当時はそれが苦しい正体とは思っておらず、ただただ、「自分は頑張れない人間なんだ」と、一気に自信を無くしたことを覚えてます。

■中学校 母への想い 勉強

それでも、大変そうな母親を見ると、母のためにという想いは、どうしても常に強くあり、今度は「勉強」を頑張ると決めます。
勉強の甲斐もあって中学の成績がオール5へ。推薦で神奈川県トップクラスの高校へ入学。母親が泣いて喜んでくれたことを今でも覚えてますが、当時を振り返ると、自分の感情は「ホッとした」という感じでした。
野球は諦めたけど、勉強でなんとかお母さんを喜ばせられたかな、と。そう、ここでも、結局、自分は存在していない。正直、勉強も楽しくなかったんです。

■高校 外的なやりたい VS 内的なやりたい

そんなこんなで高校に進学しますが、文武両道の学校であり95%の生徒が部活動に専念するのが普通であったため、じゃあ自分も何かやろうかな、と思って始めたのが「ハンドボール」。結論、楽しかったです。監督が神奈川県選抜の監督も務めているような人で、ペットボトルが飛んでくる、胸ぐら掴まれるな日常茶飯事でしたが、「楽しい」と自分自身で思えたからこそ、エースポジションとしてやり切ることができた3年間でした。

引退時の結果は、神奈川ベスト8止まりでしたが、やりたい!と思ってやっているからこそ「自分のための日々」を実感できていたと思います。
でも、結局これも、みんなが部活動してるから自分も部活したほうがいいかな、という外的な決断であることも見逃せない事実です。周りの環境や親の教育などの枠組みを取っ払い、本当に心の底から自分がやりたいと思っている「内的なやりたい」とは全く違うものです。

■高校 大学受験

その後、再び母という存在が自分を迷わせます。受験です。父の死以降、「勉強して、良い大学に行き、良い企業に入るのが一番だよ」という教育方針に切り替え、何よりも勉強、という環境でした。当時の自分もそれを信じ「野球は諦めたけど、ちゃんと勉強して良い大学に入って立派な社会人になろう」そう考え、受験勉強に勤しみます。

しかし、最低でも早慶、という目標は届かず、滑り止めの青山学院大学へ。センター試験が目前に迫った11月ごろ、謎のモチベーションの低下に襲われます。朝7時から夜24時まで、食う寝る以外はほぼ勉強していたのに、全く身が入らず。相当焦りました。

「なんでこんなに頑張ってるんだろう」「なんで自分、親のためにこんなに頑張ってるんだろう」その思考が永遠に止まらなくなったのを今でも覚えてます。しまいには過呼吸になるほど焦りが募り、11月末以降からは全く勉強をしない選択を取ります。もちろん早慶は全落ち。中学2年生で辞めた野球と同じプロセスと結果に陥りました

当時は、野球と一緒で、自分は何をやっても上手くいかないんだ、そう思っており、相当やさぐれて自暴自棄になりました。

そして受験が終わった時期に母親に小さな声で
「早稲田の合格、期待してたのにな、、、」
この一言は、かなりショックでしたね。自分は誰の期待も超えられないんだ。でも何故か頑張れない(中学の野球・大学受験)、自分はきっと何をやっても上手くいかないのかもしれない、中学の野球、勉強、高校受験と、全部楽しくなかったし、生きてる心地がしてなかったんですが、そこに追い討ちをかける一言をもらい、遅れてきた反抗期を迎えます。

■大学 ダメすぎる人間でした

青山学院に進学しますが、受験失敗の反動でやる気なく入学したことにより、なんと、3年生になる前の2年間はずっと遊び続けます。
バイト、クラブ、朝帰り、授業で寝る、バイト、この繰り返しでした。
とんでもなく、中身の無い2年間でした。なおかつ、いわゆる大学デビュー的な形で、チヤホヤされることが生き甲斐になり、見た目ばっかりの人間でした。身長が高いので学食では目立つのですが、いかに目立ってチヤホヤされるか、ばっかり考えてましたね。クズでした。中身が無いのを薄々気づいていたので、見た目で誤魔化してたんだと思います。

ただ、そのままではダメなことも薄々感じてきます。3年生になると、インターン含め、周りが頑張ることを見つけ始めていきますが、何もない自分は、かなり焦り始めました。酒でおかしくなった脳をフル稼働させ、自分自身について考え直す時期でした。

でも。。。何をやりたいか、これを頑張ってみようかな、こんなものは1つも出てこなかったです。それはそうですよね、野球も、高校受験も、ハンドボールも、大学受験も、全部、自分の決断ではなく、環境と母親の影響でしかないので、いざ自分で考えようと思っても、「自分で自分のことを考える」経験がないので、無理なんですよね。

2年間、中身に向き合うことから逃げ続け、チヤホヤのために見られ方ばかり気にして過ごし自分は、野球を辞めた時、大学受験の失敗と同じように「やっぱり何もできない人間だ」と感じ始めます。

ただ、もう流石に20歳。こんな自分を変えたい。母国のタイを中心に、東南アジアをバックパックするぞ!よくある「自分探しの旅」ですね。安直な考えて、日本から逃げ出しました。

でも結局、自分は変わりませんでしたね。そうなんです。国を変えたからって自分の本質は変わらないんですよ。

ただ、不幸中の幸いか、この経験で、幼少期とは違う、大人になったからこそ感じる母国のタイの魅力を強い感じ、「将来タイで暮らすのもありだな」と強く思うことになります。

■大学 タイ 自己決定 本気で向き合う

そして、どうにか自分を変えよう!と決意し、大学を1年休学し「タイ」を拠点に「生活する・仕事をする」を経験するため、タイのホテルで働きながらタイ生活を開始します。コンシェルジュというポジションにてお客様の旅のサポートをしながら、タイで生活すること、タイで働くことを1年間経験しました。

本当にがむしゃらな1年でした。自分はタイのMIXですがタイ語もできず、自信を持っていた英語も実際に使えず、朝は勉強、そして仕事、終わってもまた勉強、休みはコンシェルジュのスキルアップのために、タイの観光地やレストランを巡りまくり、地図・場所・特徴などを頭に叩き込む、みたいな過ごし方をしていました。そして、気づいたら、進化してました。仕事の価値・考え方、その先の自分の未来、思考が巡りに巡り、「自分が何ができ、何が得意で、何が楽しくて、何をこれからやっていきたいのか」などの「自分=中身」が出来ていった時期でした。

そうなんです。人間は「目の前のこと・弱い自分、情けない過去に本気で向き合わない限り、自分なんて見つからないし、やりたいことも見つからないし、変わることもできない」=「だから本気でやれ」ということが大事だと実感しました。

当時は就活の時期でしたが、上記のように結局自分だけ別の選択を取る形となりました。ただ、ここで初めて、周りがこうだから、とか、親がこう言ってるから、ではなく、「本来の自分が自分で考えて、自分で決断する」+「それを本気が頑張ってみる」という経験をすることができました。自分の今のベースを作ってくれた決断とチャレンジだったと、今は思えますし、自分を変える本質に触れた期間だったと思います。

■社会人 新人時代

帰国後、就活をするのですが、父の死+母の苦労+タイの魅力+タイでのチャレンジから「どんな環境になっても強く生き抜け、どんな場所でも自分自身を切り開ける力」を持っておきたいと考え、経験の幅と成長スピードを意識し、ベンチャー×営業×無形商材を軸に就職活動を行い、一社目に入社します。

業界特化型の求人広告の営業でしたが、初めは苦労するものの、1年目の夏ごろから一気に数字は上がりだし、経歴にも記載の通りですが、月間社数ギネス記録、最年少リーダー登用、未開拓エリアの立ち上げなどを経験、順調にいけばマネージャー、部長も見える中、3年目から違和感を抱き始めます。

その違和感とは、「自分はどうなりたいか」が分からない、という違和感。確かに就職当時は、「どんな環境になっても強く生き抜け、どんな場所でも自分自身を切り開ける力」を、考えていたが、心の底から本当に望んでいるものではない、と気づいてしまった。就活のためだけに作った嘘のビジョンだった。だから、時間が経ちと忘れ、結果「自分はどうしたいのか」が分からなくなる。という状態に陥った。苦しかったです。また大学生の頃と同じ、中身のない自分が出来上がりそうで、かなり焦っていました。でも絶対に同じ感じにはなりたくない。

■社会人 転職 変わらない苦しさ

だからこそ、思い切って、転職をしました。リクルートに行きたかった理由は、前職の社長と元上司が元リクルートの人で、めちゃくちゃかっこよかったんですが、そんなリクルートに行ったら変われるかも、という理由でした。最初は順調でしたね。中途求人広告の営業をやっていましたが、中途入社組での新人賞など、表彰もされたので。

しかし自分にとってはそこが重要なのではなく、「自分はどうしたいのか」の探究、ここが一番重要でした。目の前の仕事は、一生続ける仕事ではない、求人広告の営業が天職だとも思っていない中で、本来はそこにちゃんと目を向けないといけないのですが、日々目の前の仕事に忙殺され、そんな思考の余地は残っておらず、結局前職と同じじゃないか、同じことを繰り返しているだけじゃないか、結局このまま時間が過ぎ、望まない人生を甘んじて受け入れることになるのか、そんな風に思考が巡り、究極にネガディブな状態に陥っていきます。

約6ヶ月、目の前の仕事も放棄し、上司からは相当怒られてましたが、そんなことより、現実逃避をし続け、お酒、女遊び、とにかく欲に従って生きていきました。お金も無くなるので、借金もしました。

当時は、こんなはずじゃない、でもどうにかしたい、という感情と、でもどうすれば良いか分からないしそれを考えるのも辛い、という感情がぶつかり合い、虚無感、無力感から来る大きなストレスを感じていました。そのストレスを紛らわすために、酒×女×金に走ったんだと思います。

弱かったです。欲という分かりやすいところに逃げ道を作り、「自分に向き合うことから徹底的に逃げてました。

■社会人 フィットネスとの出会い

そうなるとどうなるか。心身ともに削れていきます。体調も悪く、体も重く、思考も遅い。最悪な状態でした。そんな時、ふと何もない土日に、ひさびさにジムへ行くか、ということで、家の近くの地区センターに併設されているジムへ。もともと大学では、チヤホヤされるために腕と胸をメインに筋トレをしていたのですが、心身ともに削れていた時に久々に行った筋トレは、「めちゃくちゃ爽快」だったんですよね。

視界が広がり思考が巡る感じがあり、一気にハマってしまって。1週間、1ヶ月と続けると、体がどんどんかっこよくなって行くのはもちろんですが、メンタルが整って行くんですよね。

思考が巡るからこそ、今目の前に直面している課題に向き合えるようになり、体が強くなっているからこそ、逃げずに真正面から自分に向き合えるエネルギーも出る。

<筋トレってすごいぞ>、こうなっていったんですよね。

ここが、ベストボディジャパン日本チャンピオン、オンラインジム、ジム経営、トレーナー活動の原点になっています。

■社会人 コーチング 己と向き合い続ける

筋トレが自分を活路を見出してくれたのは間違い無いですが、自分を変えてくれたのは、それだけではなかったです。

それは「コーチング」でした。

コーチングと言っても、自分で自分に向き合う、「セルフコーチング」でした。当時はそこまでコーチングが認知されていなかった時代なので、コーチングという言葉すら知らず、でしたが。

そのような時代ですので、どうしたら自分らしさを認識できるか、自分の強い軸を持てるか、メンタルが強くなるか、圧倒的な未来を描けるか、ワクワクする日々を送れるか、自分らしい人生を生きることができるか、苦しかったのですが、これら全てを、自分自身で向き合い続けていました。

今思えば、さっさとプロにお願いして最短距離で突破すべきだったと感じておりますが、0から自分に向き合う(セルフコーチング)経験をしたからこそ、クライアントのネガティブからポジティブな様々な感情とその背景(心のカラクリ)に触れることができるようになったとも思っており、それはそれで良かったかなと思います。

そこから、体系的にコーチングを体得したいと思いようになり、メンタルトレーナーの資格取得や、脳科学、心理学、認知科学的なコーチングの理論を学び、さらに自分の人生のドライブをかけられる状態になっていると実感しております。


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【コーチングによるAfterの世界観】

そんなこんなで、上段でお話した【やっていること】にも記載してますが、
現在は下記のようなことをやっておりますが、

■会社員 (株)リクルート 中途求人広告のCS部門(2022年2月14日時点)
■パーソナルジムの経営(パーソナルジム B_e Fitness)
■BestBodyJapanの選手を中心としたパーソナルトレーニングの提供
■株式会社RASCAL’sの取締役(2022年3月から)
・トレーナーのオペレーション支援ツール「GIMMY」の開発
・トレーナー向けのビジネススキル養成講座「GIMMY Grit」の開発
■CLOUD GYM(オンラインジム)チーフトレーナー&組織開発担当
・トレーナーの教育・マネジメント・人材戦略・組織開発
■サラリーマン・経営者・個人事業主・トレーナーへのコーチングの提供

せっかくなので、自分に向き合ってからの2年間、どんなAfterがあったか
箇条書きで簡単にお話しさせていただきます。

【約2年間の具体的なAfter】

  • 筋トレを本格的に始めてから1年4ヶ月で、
    初出場したベストボディジャパン日本大会で優勝

  • パーソナルトレーニングにて、開始から1年で月100万円
  • コーチングでは、開始から1年で月100万円
  • 複業全体では、複業を始めてから1年後に月200万円
    スタートから20倍のスケールへ
  • パーソナルジムでは、オープン初月から売上100万円
  • 本業(会社員)のリクルートにて、
    MVP複数受賞、採用成功率全国TOP、グランドスラム(4Q連続達成)
  • ベストボディジャパンの選手サポートにて、日本大会出場者15名輩出
  • 開業予定のパーソナルジムのコンサルティング
  • トレーナー向けビジネススキル養成講座にて
    リリースから2ヶ月で売上250万円
  • 自身の法人を設立(2022年7月予定)
  • 取締役としてフィットネスベンチャー企業に参画(2022年3月予定)
    etc

上記は、説得力を上げるために具体的な数字を出させていただきましたが、この数字がどうこう、ではなく、単なるサラリーマンが、自分に本気で向き合った結果、どこまでも可能性を広げることができる、もっともっと人生をぶち上げることができる、そんなことが伝われば、最高に嬉しいです。


【最後に】

自分にはミッションがあります。個人理念、というものですかね。

それが
「理想の人生を追求する人を、一人でも多く」です。
では、理想の人生とは何なのか。

自分の解釈では、
「心から実現したいと思う夢や目標に素直に向き合い、嘘偽りのない自分を大切にし、未来に向かって充実した毎日を過ごせている人生」です。

そんな人生を追求したい、そう思ってる人を1人でも多くサポートできたら、自分は最高に幸せです。

自殺やうつが世界で見ても多いこの日本で、多くの大人が夢や希望を失い、組織、会社の奴隷となりいつしか会社そのものが自分の人生そのものに成り代わってしまっていると感じております。

心の声に素直になった時、
いや、自分の人生はもっと、もっとこうありたい!
こういう人生にしたいんだ!

そう叫んでるのに、
富、名声、ステータス、貯金、子育て、ローン、老後の心配、
そんな薄っぺらい成功と目先だけを生きることに縛られ、
そっと、心の魂の叫びに蓋をする


自分の人生はこれでいいんだ、と、なんとか言い聞かせ、
今日もスーツに腕を通し、眠たい目をこすり電車に乗る。

そうではなく、
本当に心の底から幸せを感じ自分らしく自分の人生を生きること

自分にとって何が幸せか、それを軸に生きることが、
どんなに人生を輝かせるのか。

これを読んでるあなたも、最高な人生を送ることができます。

あなたの「理想の人生」を共に創り、共に歩んでいきます。

認知科学をもとにした株式会社GOAL-Bのコーチング『キャリスピ』というサービスがあります。
社会人であればコーチングセッションの大半が“キャリアの領域”になり『キャリスピ』の得意領域。
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