はじめまして、中川 利右司(なかがわ りうじ)です。

1994年生まれの26歳。4月1日から株式会社GOAL-Bにジョインいたします。そしてこのnoteでは、私のこれまでとこれからを記していきます。

1994年5月 誕生

滋賀県大津市にて生誕。B型。とにかく好奇心が旺盛でなんでも興味があるものには飛びつくように聞いたり、遊んだりしていた。

2001年4月 小学校入学

お笑い係として、笑いの渦を作る

裸足で外を走りバッタを掴み、木を登ってセミを採り、川でザリガニを捕まえることが日常の小学生時代。
スポーツは野球を中心に身体を動かすことが大好き。
授業は体育や算数がとにかく好きで、かつ自分が早く終えることより周りの友達に教える時間が大好き。
自由研究や図工、道徳の時間など自由に作る時間が大好きで、こういったことに没頭していた。

また、保育園時代に3回引越したこともあり、年代を問わず人と話すことが大好きで人やその輪に溶け込むことはなぜか得意な方。
毎日、帰りの会では「はいどうも〜!ショートコント!」と全員の前で披露して、笑いの渦にしてから帰るというお笑い係担当。
小学生時代は間違いなくここに全力だった。

 

悩みと涙の始まり

しかし、周囲との違いを感じ苦しみ始めたのがちょうどこの頃。
それは身体が華奢さと、両親の不仲という2つのこと。
「ガリガりうじ」が当時のあだ名で、周りと比べても身長(小6で160cm)のわりにガリガリすぎるということにコンプレックスを感じていた。
細さが周りに分からないように、ズボンを二枚履いたり、手首にリストバンドをつけたり服装に気をつけてガリガりうじと言われないように生きていた。
この時期が正直物凄く苦しかった。そして、自宅に帰ると父と母は喧嘩の日々。
体育会系の父と超理論的な母の戦いを黙って聞く日々に嫌気がさしながらも、それに対して何も動けず、机を叩いたり泣き叫びながら家を飛び出したり。
気づけば自宅前にパトカーが止まっていることも。
学校で渡されるカウンセリングサービスの情報を元に電話で相談したこともあった。
誰にも相談できず「家族って、こんな感じなんかな…」と毎日毎日泣いていた。
大好きな家族が崩壊していく姿に悲しみと悔しさがこみ上げて、家では本当に泣いてばかりの時期だった。

ただ、小学生当時に感じていたのが、環境のせいにしてはいけないこと。ここだけは強く感じていたしブレなかった。
この思いが強く、2人の間に入り、今起こっていることと2人がぶつかる原因、今後してほしいことをリビングで泣き叫びながら大声で話した。
今ではあの時、恐怖と共に勇気を出して伝えて良かったと強く感じている。

2007年4月 中学校入学 

チームを変えるために、背中で引っ張る。

中学の部活は当然のように野球部に入部し、ほぼ野球三昧の生活。脳の中は野球一色で異次元に書籍や雑誌を購入し上達への方法を調べていた時代だった。
当時所属していたチームは県下でも最弱レベルの学校だった。当時の僕は主将の友人と相談し、その友人は声で引っ張る、中川は背中で引っ張る、と分けてチームを引っ張った。
誰より早くにグランドに出て、1番遅くまでトレーニング。更衣室に向かうメンバーを背に、タイヤ引きやトラック走など、やり込む姿勢を続けた。
「一人くらいこんな奴がいていいやろ。一人いたら絶対勝てるし、勝てる気しかせん。」と、呪文のように唱え続けた。そこに根拠のない自信があった。
背中で引っ張り続けた結果、チームの雰囲気がガラッと変わり、練習の雰囲気から休日の過ごし方までが変わり、全員が勝ちにこだわり始めた。
そこで当時の僕が発案したのが、プロ野球のように冬の自主トレを、練習メニューや方針をまとめた資料を作って配り、本気でチームを強くするまで再編する企画。弱小すぎるチームだっただけに、“夏の大会、絶対1勝!“これを目標として設定し主将と先頭になってチームを引っ張った。
出来るかはわからんが、無我夢中でやってみる。これを常に念頭に入れ、チームを強くするよう働きかけた。
結果的には2回戦まで勝つという弱小ながらに異例の結果を出すことができた。
自身が察知した今のメンバーの状態、自分の状態を、どう動きを持たせれば、上へ上へと進めるのか、こればかりを考え動き続けた。
この経験から“一人でも強く信じる奴がいたらチームは変わる“という考えが生まれた。
高校は地元の公立高校を強くするという思いで進学先を決定。

2010年4月 高校入学

どん底から這い上がる

高校2年秋の大会、これまでの人生で味わったことのない経験をすることになる。
勝てばセンバツ甲子園への切符という試合。場面は1点差で負けている、9回2アウト満塁。いわゆるサヨナラ勝利目前の場面。
あとは自分がヒットさえ打てば甲子園。初球のボール球に手を出し、ファーストフライでゲームセット。
甲子園まであと一歩というチームを自分が終わらせたのだ。
アウトと分かっていながら、意味もなく1塁まで走るが当然試合は終わっているし、ベンチを振り返ると全員が泣き崩れている。
この時、何が起こったのか整理できなかった。

そして翌日から始まった、周囲からの罵声。
「お前が打てば甲子園に行けたのに。お前のせいで負けた。センバツの夢を潰した。」
ただ、それが現実だった。
この時敗退した対戦校は、実家の目の前の高校で登下校時、すれ違うたびに帽子を深く被り表情を隠して帰る毎日だった。
全員の夢を潰した罪は大きかった。チームのメンバーとの会話も途端に減った。周囲との距離が空いた自分は、野球への向き合い方が分からなくなった。
こうやって高校野球生活が終わっていくのか…。そう感じていた。

「チーム全員の夢を潰したまま高校野球を終わらせることは絶対できない。
何としてでも自分が変わらないといけない。
間違いなく、50人の中で1番努力、苦労、成長が必要なのは自分だ。」そして自分自身で強く決めた。
「絶対、夏に花咲かせる」これを毎日毎日自分自身に語り続けた。
常にイメージしていたのはなんとしてでも自分がチームを勝たせるという強い感情。
自分自身を叩き上げる目的で、毎日の練習後一人黙々と山へ行き、ダッシュを繰り返していた時も、この言葉を自分自身で何度も繰り返した。
野球部には部日誌というものがあり、ここにも毎日の思考やゴールを書き殴り続けた。

そしてこのタイミングで、コーチングをしているコーチがチームに配属された。
その方は甲子園出場を数多く叶えてきたメンタルコーチで、日本中を飛び回っていた。
当時の自分は、メンタル?コーチ?コーチング何それ?という状態だった。
そのコーチとともに、チームは目標を強くイメージするワークなどを中心に行った。
練習後にはグランドで整列し校歌を歌う。成功も失敗も関係なく喜びあうテニスボール野球、部日誌、ルーティンワーク、最強のトイレ掃除、合宿、ビジョントレーニング、自チームではなく強豪校の動画視聴、チーム内でのセルフトーク、サイキングアップ。ありとあらゆるコーチングのワークからチームが激変した。

そして迎えた春の大会。自身の本塁打を含む活躍で、自分のせいで敗退した対戦校に勝利。
夏の大会ではテレビや、新聞でも個人の特集をしていただけた。さらには大学からお誘いの話もいただいた。
チームメイトとは抱き合い、応援に来てくれていた父母は泣き、祖父母と握手し、ホームランボールを渡した。
本気でぶつかってくれた友人達、本当は柄でもないのに叫びまくって応援してくれていた母、身体のケアをしてくれていた父、コーチの存在、監督。
間違いなく全ての人に支えられて生まれた結果だった。

この経験から、本当に成し遂げたいことは言葉に出し続ける、部日誌に書き続ける。そうすれば絶対突破できる、ということを身を持って学んだ。本当に苦しかった生活だったが、この経験があるから今があると感じている。

理学療法士になることを決意

高校2年の冬、年末年始で北海道から帰省していた叔父と再会。
小さい頃から医者だと一方的に感じていたので、当時腰痛持ちだった自分の身体を見てもらおうと「腰見てほしい!」と伝えた。
すると叔父は、身体の評価を行い、痛めている原因を説明し、トレーニング方法まで教えてくれた。ドクターって、こんなことまでできるのか?そう感じたので聞くと、叔父は理学療法士であるということを教えてくれた。
そしてこの日から、理学療法士を目指し始めた。周囲は大学でも野球をやることを強く押していたが、全くブレなかった。

2013年4月 医療大学入学 滋賀→大阪 

理学療法士の国家資格を取得できる大学へ入学

医療大学に進み筋肉や骨関節だけでなく、神経や脳の仕組みなど、理学療法士になるため、身体に対することを他分野に渡り学んだ。
学ぶ過程で臨床実習期間が半年間あり、滋賀と愛媛の病院で経験した。アルバイトは居酒屋、警備員、引越し、牛丼、郵便局、コンビニ。

社会人野球選手の活動を開始

プロに近い、高いレベルの世界でプレーしたいという思いから、社会人野球の道へ進んだ。
周囲にはプロから戦力外宣告を受けた選手や独立リーグからきた選手などレベルは高く、特に私が在籍していた関西は大阪ガス、パナソニック、日本生命など競合揃い。
2016年には、主力メンバーとして近畿で優勝を経験させていただいた。

抗不安薬との出会いと決別

身体の勉強に、社会人野球にと順調に大学生活を送っていたそんな中、ある友人の裏切りがきっかけで”人を信じる”ということを失った
身の回りの誰のことも信じれなくなり、強い不安症状が続いた。あまりにもひどい症状だったため精神科へ通い、処方された抗不安薬を飲む生活が始まった。
しかし症状が変わらず、副作用に苦しんだ。身体も心もおかしくなってしまい、身体は人生で一番痩せてしまい、生きる活力がなくなった。
当時の馬鹿な自分は、症状が治らない中、「たくさん飲めば、治るかもしれん…」焦りに焦り過剰摂取した。今度は、目が泳ぎ呂律が回らなくなり、友人の声かけにも対応できていなかったようだ。これら全て周りの友人たちから聞いた話だった。
息が吸えなくなる症状も続き、ストレス性の肺気胸も合併していた。当然のように学校からも謹慎の指示。頭の中で鳴り響く「おかしい。なんでこんなことになってる。おかしい。」
そんな時、全てを救ってくれたのが大学の6人の友人達だった。
大阪の大学だったにもかかわらず、地元滋賀まで車で駆けつけてくれ、抱きしめてくれた。
その日から全てが改善に向かい、症状も薬とも悩む自分と、完全に決別。結果的には薬よりも、仲間に救ってもらったそのおかげで人を信じることを思い出すことができた。
今では笑って話せる過去だ。劇的に復活できたこの時の記憶が一生の宝物。この経験がなかったら今の自分はいないので、そういう意味でものすごく大事な時期だったし、自分にとって必要な時期だった。

理学療法士の国家資格も無事合格。神戸での一人暮らしが始まる。

2017年 社会人1年目(神戸) 大阪→兵庫 

関西内でも大規模の、神戸三宮のスポーツ整形外科へ入社。
日本一の手術件数を誇る会社であり、5〜95歳まで年齢層も幅広く、1日24人のリハビリを担当。プロ野球選手や社会人、大学高校など含め、様々なアスリートも通うスポーツ整形外科の会社だった。
入社後は、圧倒的に治せる治療家を目指し、数多くのセミナーや勉強会、研修会に参加し、時間とお金を注ぎ込んだ。
後輩達の学びの場を作りたく職場内でコミュニティも作った。たくさんの師匠に出会い治療技術を磨いた。

私が勤務していたのは、スポーツ整形外科であり、一般的な総合病院で勤務する理学療法士とは働き方や対象となる患者層はまるで違うものである。
問診をはじめとしたコミニュケーションや施術、トレーニング指導が業務の大半を占める。
その中で私は、それぞれの業務そのものも好きだが、”本当にやりたかったことを思い切りできる、その人がしたいことを施術やトレーニングを通してサポートができる”という、身体を通してこの進化を創ることが、理学療法士として働く中で1番のやりがいであった。
自身が学んだことが、ここまで人の人生を変えることができる、ここに幸せを感じる仕事だった。そしてそのためなら、学ぶことに限界値がなかった。とにかく圧倒的な変化や進化を作ることが好きで、ここに執着していた。
そして、師匠としていた治療家が言っていること、していることがなぜそのタイミングで触れ、その順で施術していくのかを徹底的に研究し、徹底的に真似る、そして自分のものにする。その人と同じレベルの施術をいかに再現性を持ってできるか、同じ感覚でできるか常に考え、極めていた。
トップから学ぶことが好きな自分は、臨床戦略ノートを作り、これさえ見ればいつでも立ち返ることができるものを作った。

自分が他の人と違うところは、人の状態を良くする、変化や進化を作ることに熱意がある。とにかくここのために必要な学びにかけている時間が長すぎるところ。この”好き”を持っていることが私の中では大きいと感じている。

2019年 社会人3年目 

変革が始まる

しかし社会人生活が3年を過ぎ、ふと感じた「全部プラトー」という感情。
何の変化もない、こう感じた自分がいた。何か限界を感じていた。自分が作りたい”人の人生を圧倒的に進めること”これを実現するために、手で触れて施術することや今の自分では、叶うことができない限界を感じた。救えない人が見えてきたのだ。
何の変化も出せない、こう感じた自分がいたのだ。もっと心や脳の仕組みについて知らなければ、抜本的に人を良くすることはできない。
臨床経験から、ここ次第だと間違いなく感じた。
ここを履き違えて、治療技術や治療の考え方、治療テクニックそのもので議論しているのが、理学療法士業界の闇であり実情。そして、自分自身も治療技術の向上のみに走っていた時代があった。ここが大問題であることにやっと気づいた。
そして、AKIOBLOGのYouTubeを通して、コーチングが対面やオンラインで行われている事実を知り、高校野球時代に出会ったコーチングについての記憶が蘇り、独学でコーチングを学び、臨床現場で適用した。

治療とコーチングを掛け合わせることで、圧倒的に成果が変化した。
目的のためなら手段を選ばないこと、これ一点を治療家として突き通していた信条であった私は、ここからのめり込むようにコーチングについて学び始める。
さらに、2019年12月のGOAL−Bイベント(2020年の目標を設定する)に滑り込みの最終枠で申し込み、参加。当時GOAL−Bの松田さんに直接メッセージを送信し、参加させていただくことが決まった。
そしてこの日を境に、この「2020年が終わった時、最高に充実した1年だったと言える年にする」という目標(ゴール)に向かって動き始めた。

2020年 社会人4年目 

1-4月 
・コーチングを受ける
・銀座コーチングスクールへ入学(30万円)
・タイのバンコクで新鮮解剖研修へ参加する(20万円)
・全国学会で研究発表を行う

治療家としてもっと圧倒的な変化を作る。そして自分自身の人生を変える。絶対に充実を作る。
これを口癖のように毎日考え続け、そのためにどうするか、これからどうしたいか、どうなりたいか考え続け行動した。

コーチングを受け、自分の当時の生活リズムに余白を開けることを決断。
医療職のパート勤務で得ていた給与分を得ることを辞め、全て自己投資に回した
目先のお金より自己投資。コーチングをもっと体系的に学ぶには何をどこから学べば良いのか全くわからなかったが、様々調べて相談し考えた末、銀座コーチングスクールへ入学(30万円)を選んだ。
数ヶ月後にGCS認定コーチを取得し、コーチ活動を開始。

治療技術の向上のため、タイのバンコクへ渡航し海外新鮮解剖研修(20万円)にも参加。
研修では死後数日を経過されたご献体の方の、皮膚より深層を直接触れる学びであり、治療家としての考え方もまるで変化した。
また、治療技術のみではなく、その治療結果から得られる成績と理論の整合性を図るため、日本人工関節学会で人工膝関節全置換術に関する研究発表を行った。

5−7月 
・GOAL-Bグループボディメイクバトルへ増量組として参加する(16万円)
・対面の打撃指導を受け始める(14万円)
・GOAL−Bパーソナルコーチングを受け始める(16万円)
・GCS認定コーチになり活動を開始する
・職場へ退職の希望を伝える

治療家としての圧倒的な変化を作ることへのコミットはしていたものの、自分自身のガリガリというコンプレックスに向き合っていないこと、ここに気づき、GOAL−Bオンラインパーソナルへの自己投資のボタンを押した。
ボディメイクイベント(16万円)に参加し、トレーナー管理のもと自宅でのトレーニングを通して身体作りに励んだ。

次にパーソナルコーチング(16万円)も受講開始し、身体と心の両方のマインドセットを行った。
自らのゴールを設定した私は、職場の退職を決めた。

さらに社会人野球選手としての挑戦として、プロ野球独立トライアウトを目指し、大阪桐蔭元主将が展開している対面打撃指導レッスン(14万円)の受講を開始。
選手としての挑戦と成長に自己投資のボタンを押した。

8−10月 
・Best Body Japan 2020大津大会への大会への出場を決意
・GOAL−B対面パーソナルを受け始める(16万円)
・Mindset coaching school 3期へ入学(80万円)

オンラインパーソナルを受け、2ヶ月で身体の変化を作ることができたことが自信に繋がり、人生初の肉体美コンテストであるBest Body Japanへの出場を決意。
昔からYouTubeで数々のトレーニーを見てきて、コンテストに出てみたいという気持ちがありながら、”ガリガリ”な自分を表に出したくないという思いから自信の無さが強く敬遠していたが、1つ挑戦として決意。
これに伴いGOAL−Bの対面パーソナル(16万円)も開始した。

コーチングを受けた影響から、Mindset coaching school 3期入学(80万円)を決断。
人生で初めての多額の自己投資だったが、人の身体と心の変化を作り、パフォーマンスを最大化するためには必須と感じて身銭を切った。

11月-2021年2月 
・プロ野球独立のトライアウトを受験する
・Best Body Japan 大津大会に出場する
・「スポーツとマインドのカラクリ」の講演を行う
・REMIX(旧No Gym Project)の機能解剖学/コンディショニングクラス講師活動を開始
・京都、兵庫、和歌山の高校へオフライン、オンラインで講演活動開始

プロ野球独立トライアウトは、二次選考で敗退。
しかし間違いなくここまでの社会人野球生活8年間は今後に役立つ経験となった。

Best Body Japan 大津大会の結果は、予選敗退。初の増量減量を行う半年間が幕を閉じた。
ガリガリであることにコンプレックスを抱いていたが、今では全く気にならなくなった。
もっと身体をこうしたい、という身体のゴールもあるため、今後は大きさだけでなく社会人野球選手として機能的なトレーニングも行っていく。
Best Body Japanに向けて増量と減量に励んだ日々は、過去にないほど追い込んだ半年間であり、このメンバーとの出会いが一番の宝物だ。

12月にはMindsetコーチングスクール校長である李先生からお誘いいただき、REMIX(旧No Gym Project)というフィットネスオンラインサロンで、理学療法士として機能解剖学/コンディショニングクラスを担当させていただくことになり、zoomオンラインクラス指導とFacebookライブ配信を開始

また、私は認知科学に基づくコーチングを学ぶ過程で、コーチングを取り入れることによるスポーツのパフォーマンスアップに対して大きな可能性を感じていた。
そして新しい挑戦として”Mindのカラクリとスポーツのパフォーマンスアップ”についてオンライン、オフラインで講演会を複数回開催
既存のメンタルトレーニングではなく、Mindの使い方に沿ってゴールを設定することで個人もチームも、飛躍するということを実体験ベースで伝えている。

 

2021年3月 兵庫→東京

スポーツ整形外科を退職→株式会社GOAL−Bへ入社

4年間勤務した神戸三宮のスポーツ整形外科を退職。

4月からはコーチングとフィットネスの会社である、株式会社GOAL−Bへ入社。
この会社はまさに、身体と心を扱う会社である。

 

これまでの自分

どん底は関係なく、自分の心が踊ることに執着する、好奇心に素直に生きる

私は自分自身が他人より圧倒的に好きだと感じている分野に命を注いできました。
身体と心、この2つは小さい頃から今に至るまで大好きで夢中になっていました。
とにかく好奇心が旺盛で、これだ!と決めたものには誰よりも時間を熱を注いできました。
これからも自分が好きだと感じていることに、心が躍ることに執着していきます

自分自身が真に願い強く決めたことを口に出してノートに書いて、ただ実現に向かう。
思った以上にコンプレックスや環境は小さな小さな、見えない壁を作っているだけに過ぎないのが事実。
ほとんどが自分にとって都合がいいように言い訳にしているだけで、小学時代の家庭環境や高校時代の挫折、大学時代の抗不安薬との闘いなど、今となっては全て笑える愛すべき思い出。
その瞬間瞬間は辛く逃げ出したいことであっても、必ず未来は良くなる。自分の中のどん底の経験が、間違いなく今を作っている。

 

これから成し遂げたいこと

コーチ×治療家として、できないを出来るに変える

私はコーチ×治療家という職業を通して、命を捧げてやりたいことがただ一点。
あらゆるアスリートやトップエキスパート、飛躍したい人の身体と心の変化、進化を創ること。できないを出来るに変えること。
それが達成できるためなら、手段を選ばない。2021年現在は、ここに執着しています。

今現在がアスリートでなくていい、トップエキスパートでなくていい、飛躍していなくてもいい。
自分のしたいことを本気で実現に向かいたい人にコーチ×治療家として共に進んでいきたい。
治療やトレーニングを行うこととコーチングを受ける、学ぶことで身体も心もパフォーマンスが上がることを身をもって体感しているし、関わった人にこの価値を届けていきたい。

最後に

最後まで読んでいただきありがとうございます。

私は、「過去の失敗の経験や実績/環境は、未来に全く関係が関係がない」ことを自身の経験から知っています。

「前やってみたけれどできなかったから、またできない」
「あの人だからできるのであって、自分にはできない」
「自分とは縁のないこと」
「周りの誰もが”無理だ”と言っている」
「それをするにはもう遅い」
でも、
「本当はできるなら、今からでもやりたい」
「この夢だけは、どうしても成し遂げたい」
「何が何でも、自分をスケールアップさせたい」
少しでもこんな思いがある方は、ご連絡ください。

他人が勝手に作った向き不向きに関係なく、誰もが自分が本当にやりたいことに、好奇心に素直になって進んでいい。
やりたいことに没頭できると、いつか振り返った時に想像もしなかった自分と出会うことができる。

「今振り返ると、まさかこうなるとは思ってもいなかった…」
私は自分の人生で、これを何度も感じています。
あなたが真に願う「何が何でも成し遂げたいこと」「心の底からやりたいこと」を実現するためにコーチがいます。

全ての人に可能性がある。
あなたらしい進み方、突き抜け方で「できない」「本当はやりたい」を「思いっきりできる」に。
私はあなたと、この全プロセスに関与します。

妄想で終わらせない。未来を整合させ、現実に変えていく人生に。
今ここにないものを共に作っていきましょう

<中川利右司の認知科学コーチング解説>
【現状の外側へ飛躍するMindの使い方】
https://note.com/riujinakagawa/n/n601313223fd9

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