いつ死んでも後悔なき毎日を。 | 今田黎玖

GOAL-Bに入社するにあたって、今まで生きてきた20年を振り返ってみました。
振り返ってみると奇跡のような出会いと奇跡のような別れを通して今田黎玖は形成されていました。

  • 「ポジティブ」
  • 「パッション」
  • 「行動力」
  • 「明るい」

といった言葉で僕は表せます。
そして、これは今後一切覆る事はありません。僕の人生にはポジティブしかないです。
何者でもないただのサッカー小僧がそう思う事ができたのは大切な人との大切な思い出があったからでした。

僕は僕だけで生きていない。だから、僕はみんなを変えられる。

一緒に進化することができる。一緒に挑戦できるんだ。

  • 「いつ死んでも後悔なき毎日を」
  • 「心の火を燃やし、誰かの心に火をつける」

このnoteを読んでくれた人は、自分が大好きになります。
隣の人を愛せます。今日も最高の1日になります。

気持ちを込めて全力で書きました。
文章力もない自分にはとても大変でしたが、最後まで読んでくれると嬉しいです。

生誕

2001年1月16日 静岡県浜松市で生まれる。

ちょうど21世紀の始まり。
世紀を代表する男として黎明期の「黎」の字を取った黎玖が生まれた。

こんな素敵な名前をつけてくれた両親にすごく感謝してる。
ただ、漢字が難し過ぎて初対面の方で一回で名前を呼んでくれた人はまだ出会っていない。

小学生:サッカーを始める

プロサッカー選手を目指す(キャプテン | 静岡県選抜 )

2歳上の兄の影響で小学校入学時からサッカーを始めた。
僕が入ったサッカークラブはサッカーだけにこだわらずに色々な事をした。
釣りをしたり、キャンプをしたり、野球をしたりととにかくスポーツの楽しさを教えてくれた。

その中でもサッカーは自分の中で特別なものになった。
学校が終わった瞬間に家にダッシュで帰り、そしてボールを持つとまたダッシュで学校に行きボールを蹴る日々。
門限を過ぎて怒られる事は数え切れないほどあった。そして、気がつくと静岡県選抜に入っていた。
サッカークラブ史上、県選抜に入ったのは武田修宏さん以来の2人目だったらしく僕はすごく誇らしかったことを覚えている。

小学校2年生から坊主のスタイルだった。
相手チームのコーチから『あの坊主を止めろ!!』と言われる事が気持ちよかったことを今でも覚えている。
そう言われるたびにやる気のスイッチが入った。僕は絶対に負けたくなかった。仲間がミスをすると思い切り怒っていた。
試合に勝っても点を取れないと泣きじゃくっていた。
【負けたくない】【活躍したい】という気持ちは僕のエネルギーの源泉だ。

中学生:プロサッカー選手を目指す

②プロサッカー選手を目指す(静岡県選抜 | 県大会ベスト4)

小学校から県選抜に入っていた僕は中学に上がる際色々な選択肢があった。
Jクラブの下部組織やサッカー強豪校など、どこにでもいけた。
しかし、僕が選んだのは地元の公立中学校だった。

ある日、父から「みんながりくとサッカーしたいって言ってるよ」と言われた。
みんなとサッカーがしたい。理由はそれだけで十分だった。(それが父の願望だったのか本当の話だったのかはいまだに分かっていない)

中学に入り、公立中で唯一の静岡県選抜に選ばれる。サッカー部のグラウンドは砂場のような土のグラウンド。
だから、県選抜のグラウンドは天然芝で心が躍った。もっともっと上手くなりたい。その一心だった。

最後の夏季大会。
東海大会をかけて静岡学園中学と戦い敗れる。
そこで、高校ではこの相手を必ず倒すと心に決めた。
それでも、最高の仲間と最高の思い出ができた。その仲間は今でも僕の心の支えになっている。

中学に入っても坊主スタイルは継続だった。身長が147センチとすごく小さかった。
それでも負けん気は人の何倍もあった。県選抜なのに下手クソな選手は僕だけだった。
それだけ僕は【気持ちの強さ】には自信があった。

高校時代:人生で初めての挫折。夢の全国大会に出場。

③人生初めての挫折

進んだのは浜松開誠館高校。地元浜松で1番強い高校を選んだ。
理由は小学校からの仲間に「一緒にサッカーをやろう。全国大会に出よう。」と言われたからだった。
このチームで大活躍する。一年目から試合に出るんだ。
そう意気込んで入学をした僕は一気に地獄の日々を送ることになった。

どんなプレーをしても監督から怒られる。怒られるのが怖くて、試合中は自分のところにボールが来ないことを祈っていた。
走りについていけずに先輩から怒られ、グラウンドを何周も走る日々。理想と現実のギャップが空き過ぎて自分はサッカーが嫌いになった。
練習が終わり家に着くのが22時30分。寝ることが怖かった。
「明日もサッカーがある」と思うたびに恐怖感に襲われた。

親には何もないかのように明るく装った。
地元のみんなには「いい感じだよ、順調順調」と嘘をついた。そうするたびに自分が嫌になった。

④夢の全国大会に出場(創部史上初)

僕たちは創部以来初めての全国高校サッカー選手権に出場した。
決勝の相手は中学時代の最後の相手静岡学園だった。負ける気がしなかった。そこには根拠のない自信があった。
誰にも期待されていなかった自分たちが静岡県予選を制した。僕はその時ベンチにいた。
あれだけ活躍したかったのに、あれだけプロになりたかったのに、勝った瞬間僕は号泣していた。大嫌いだった監督に抱きついた。
これが現実かわからないほどの喜びだった。

僕は地獄と天国を味わった3年間で学んだことがあった。

全国に出れたのは自分が嫌だったことを克服したからだった。
「絶対にボールが来るな」と思っていたけれど、毎日、同じような仲間とナイターが消えても練習した。
オフの日になっても週明けのフィジカルトレーニングに備えて走り込みをした。
今考えるともうあの頃には絶対に戻りたくないと思うほどがむしゃらに行動した。

そうした経験を通して僕は正しい努力も大切だが【圧倒的にやる力】を身につけることができたとなった。
それは僕の強みに変わった。

たしかに、僕はサッカーでは試合に出ていなかった。
プレーは中心メンバーではないけれど、チームの中では必ず中心にいた。なぜか、ミーティングでは前に立ってチームの意見を集めていたし、何かを代表して喋るときには必ず僕が喋っていた。
普通はサッカーが上手い人がチームの中心にいるはずなのに、チームで一番下手くそな僕が中心に必ずいた。必ずだ。どの場面も。

それは、僕の持って生まれた才能なのかもしれない。そんな積極性は周りの先輩から嫌がられることもあった。僕の意見は煙たがられることも多かった。
でも、自分がチームのために本当に正しいと思っていることを曲げたくないし、もっと良い方法を考えたいと心から思っていた。

そして最高学年になりチームを変革する時が来た。とにかく「今までにないことをしなければ今までに成し遂げたことのない全国制覇にはなれない」そう思った。

あらゆる変革を起こした。
今までしていなかった週に一度のミーティングを選手主体で行ったり、後輩指導をマンツーマンで行ったり。

だから、チームが今までしたことなかったことをとにかく行った。
最初は消極的で監督にビビっていたチームが監督にリクエストをするチームに変わっていった。

監督が「俺を超えることができなければ無理」と言っていた言葉の意味がやっとわかった。
選手が楽しく主体的にチームに関わる、自分たちで決定してチームを進めていくことは自分たちの最高の力になることを学んだ。
キャプテンもスタッフも保護者もOBも全て「日本一」という共通の目標に向かっている。
そして、「サッカー王国の復活」というビジョンに向かっている。
だから、役職など関係なく全員が手を繋いで前を向けた瞬間に現実は大きく変わったことを強く強く実感している。

僕が下手くそなのにベンチに入ることができたのは「人間力」を発揮したからだ。
ある日、監督から「お前の武器は人間力だ」と言われた。サッカーのプレーでも「お前は口でサッカーをしろ」と言われることがほとんどだった。
サッカーのアドバイスじゃなくて落ち込んだ。でも、それが自分が生き残る術かもしれないと思い真剣に考えた。

僕は誰よりも声が大きくピッチの中でも外でも無意識に影響力を発揮していた。それをとにかく意識した。上記に挙げたように全ての場面で顔を出した。チームの全ての責任を負った。そんな経験は僕の圧倒的な自信に繋がっている。

僕が全国大会の30名のメンバーに入った決め手は選手権壮行会で「メンバー外の3年生から一言」というときに僕が発した言葉だった。
下の新聞記事にあるように僕は「サッカーの実力ではメンバーに選ばれなかった」。「チームのために」と腹を括ったときに僕は100人近くの前で泣きながらチームの勝利を願いスピーチした。
メンバーのみんなは「頼む。最高の準備をしよう。」そう言った。
そして、僕が高校生活で輝いていたのは得点を決めた場面や相手をディフェンス場面でもなかった。
多くの人の前で大泣きしながらチームを鼓舞したときだった。

この経験から【思いは行動を変え、行動は現実を変える】ことを学んだ。
全ては自分がどう思い、どう行動するかにかかっている。

自分が出した勇気は驚くほどの現実を生み出すということを実感した。

だから、僕は僕自身が勝つことに興味がない。僕が所属するチームが日本一になることが理想だ。
そのチームの中の士気を高め続けること、チームがよりよくなるように行動しまくること。
仲間が全員、一人残らず笑顔でチームに行動することだけを考えていた。それが僕の本当にやりたいことだと気づいた。

「リーダーだけどリーダーじゃない。」
「目立つようで周りを目立たせる。」
「自分が仲間に影響を与えて、その仲間が死ぬほど活躍する」

そんな姿が最高に理想的だ。

僕のあり方

⑤大学に来て何気ない日々に疑問を抱く

大学はなんとなく大阪に行きたいと思い関西大学へ進学した。
大阪へ出発当日、父は別れ際に涙を流し「頑張れよ」と言ってくれた。泣きそうになった。親元を離れるのは初めてだっただけに今までの感謝が溢れてきた。
必ず最高の大学生活にすると意気込み大学生活を迎えた。

しかし、待っていたのは何気ない日々。普通に授業をし、慣れない家事をこなし1日を終える。
高校であれだけ忙しく充実感に満ちた生活を送っていただけにそのような日々は自分にとって「何か物足りない」と思わせられずにいられなかった。
そして、自己分析をしようと思い、「自分はなぜ大学に行くのか」という問いから始めてみることにした。

⑥自分が今まで触れずに逃げてきた過去に触れ本当の自分を知る

自己分析を続けていくうちに「なぜ自分は生きているのか」という問いにぶつかった。(決してネガティブではない)そして、自分の人生の目的は自分の原体験にあると考えた。つまり、自分がどんな経験をしてきたかということ。

そんなある日僕は筋トレをしている時に洋楽メドレーをかけていた。はずだった。
いきなり、中島美嘉の『雪の華』が流れ出した。僕のママがいっつも聞いていた歌だった。そして、これはママからのメッセージだと直感的に感じた。(こんなスピリチュアルなことがあるのかと思うが本当にあった。)

その日から僕の人生は一変した。

僕の母は僕が7歳の頃に亡くなった。脳腫瘍だった。
両親は子供のことを気遣って闘病に向かう少し前に離婚をした。

「明日からママいなくなるから最後一緒にお風呂に入ろっか」と言われ、「嫌だ!」と言ったのを今でも覚えている。
しかし、月に一回は一緒に遊びに行くこともあり、当時の僕の感覚では住む場所だけがちがうといった感じだった。

最後に遊びに行ったのは2008年4月2日。水族館に行った。
ダッシュで駆け寄り思い切りハグをした。本当に鮮明に覚えている。本当に大好きだ。
その1ヶ月後に母は亡くなった。亡くなったことを知らされたのは夏を過ぎてからだった。

母の代わりにおばあちゃんが10年以上家事をしてくれた。
おばあちゃんのことも書きたいがまたの機会にします。おばあちゃんいつもありがとう。
そんな恵まれた環境もあったことから、自分は周りにいた人のおかげ、サッカーのおかげで寂しさを感じることはなかった。

そして、大学生になり少し大人に近づき振り返ってみると、がどれだけ偉大だったかがわかる。
どんなに苦しかったか、どんなに辛かったか。
自分の成長を絶対に見たかっただろうと思う。1日でも長く生きたかったと。

そう思うたびに強く生きると誓っている。

そして、今田黎玖が変わった。

人はいつ死ぬか分からない。
今日という日は母が何がなんでも生きたかった今日だ。
僕が健康でいられること、ここまで強く育つことができたこと、

これからも素晴らしい人生が送れることは、母がそうさせていくれているんだ。

いつ死んでも後悔なき毎日を

これは僕の座右の銘だ。
毎日を熱く生きる。自分の人生は自分で切り開く。
僕の心の火は誰かの心に火をつける。

太陽も雨も風に揺れる木の葉も生きてこそ感じられる奇跡の連続なんだ。

筋トレ
読書
瞑想
朝5時起き

これらを継続をして一年が経った。

そうして、僕が日本中を熱くする。
日本中の人の心の日を灯し、一人一人の人生を最高なものにする。

やり方なんて分からない。でも、そうできると確信している。

それは、僕が今まで出会ってきた人たちがいたから、その出会いを通じて僕はこんなにも成長することができたから
だから、僕もまだ顔も知らない誰かの人生を変えるきっかけになる。

全てはプラスになっている。生まれた時点で右肩上がりに幸せへと向かっているんだ。

どんなに落ち込んでもそれは、全部自分の幸せのためにそうなっている。

苦しいのも悲しいのも全部全部自分のおかげ。

母がそう言ってくれてるんだ。だから、やる。俺はやる!

やればできる。これほどまでに根拠のない言葉はない。
それでも、僕の人生をもって挑戦をして、それを証明する。

最高に楽しくて、最高に熱くて、最高な人生にするんだ。

僕の理想の世界

僕の理想の世界は全ての人、動物、自然が調和し、最高にハッピーな世界になることだ。

全ての人が「人生を賭けて挑戦したいことに挑戦している」「人生で一番大切にしたいことを大切にしている」
動物が住む環境がある。全ての動物が愛されている。動物と人間が共存している。
自然環境を守りたいとかはないけれど、自分が昔から好きだったキャンプが一生できるような美しい地球を次世代に繋ぎたい。
人と自然がもっと密に関われるイベントをしてみたい。

「日本で自殺者を絶対なくしたい」
一人一人が命を自分を心から大切で大好きで幸せと思える世の中をつくりたい。つくる。

僕は母が亡くなったから分かった。毎日を大切に生きることの重要性を。
それは、熱量MAXで「最高!」ってやるだけじゃない。

未来に爆速で進みながらも、今ある環境に感謝すること。
落ちているゴミを拾うこと。
友達や家族にありがとうを伝えること。

そんな毎日を過ごすことが「いつ死んでも後悔なき毎日を」ということにつながってくると思っている。

あなたの周りの誰かが亡くなってから気づいても遅い。だから、僕がここにいます。

僕が人生をかけて一人でも多くの人が後悔なき毎日を送ることができるように挑戦します。

全ての人に可能性があることを僕自身が証明します。自分の可能性を決めるのは自分だと

そして、全ての人に可能性がある。それを人生をかけて証明します。

これを読んでくれたあなたの体温が0.1℃でも上がってくれたら嬉しいです。そして、これからもあなたの心の原動力になります。

いつ死んでも後悔なき毎日を。

さあ挑戦しよう。

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