ガチガチの年功序列の会社から転職4回を経て、経営者に。| 村岡大樹

こんにちは!

村岡大樹(むらおかだいき)です。

私は今、自身の会社の経営をしながら

株式会社GOAL-BのCHROをしています。

今回はそんな私の自分史を書きたいと思います。


1、運動嫌いだった幼少期〜小学生時代

物心ついたときは運動があまり好きではなく、

保育園の時に年下の男の子が

思いっきりボールを蹴ってるのをみて

「怖いなぁ・・」と思っていたのを覚えています。

小学生時代もインドア派で、ドッヂボールが大嫌い。

一応サッカーを少しやっていたのですが、

目が悪いのもありセンスはゼロでした。笑

おまけに歯はガチャガチャで

体はガリガリ、天然パーマ、視力0.02という

ファイナルな状態でした。

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音楽会の日にハイハットシンバルという

楽器をリズミカルに叩いていたら、

不良の先輩に

「メガネシンバル」というあだ名をつけられました。

とても語呂のいい言葉ですよね。笑

といってもいじめとかは一切なく、

とても明るい性格で毎日楽しく過ごしていました。


ゲームや漫画が好きで、将来の夢は漫画家になること。

ジョジョの奇妙な冒険を小学1年生で買ってもらい、

そこで筋肉の描き方に感動し、毎日筋肉の絵を描いている、

そんな小学生時代でした。(どんなんやねん)


2、運動を始めた中学生時代

中学生の時にあるものの登場で大きく流れが変わります。

「コンタクトレンズ」です笑

これのおかげでスポーツの楽しさがわかるようになりました。

中学の時は剣道部に入り、剣道2段を取得する頃には

身体もしっかりしてきていました。

そしてこの頃にはトークに磨きがかかってきていて、

クラスの帰りの会には

なぜか「村岡君の雑学」というコーナーがあり、

そこで毎日2分ほどみんなの前で

雑学を話すという謎の時間がありました。

なにか悪いことをした生徒が先生に怒られて、

シーンとした帰りの会での

「村岡君の雑学」の時間に登板するときの気持ちだけは

今も忘れることが出来ません。

そんな中学時代の最も印象的な私の感情は

「不良への嫌悪感」です。

みんなが楽しく過ごしているのに

不機嫌な不良がクラスで暴れて空気が悪くなる。

これがなぜか許せなかったんです。

サッカー大会の日、不良グループの子に

まじめなサッカー部の子が激しめのチャージをした際に

不良の子が怒って言いがかりをつけ始めました。

僕はそれが許せず止めに入りました。

そうするとその不良の矛先は私に向き、

その時から不良グループとは何度か衝突することになります。

感謝されたかったとかではなく、

何故か止めに行ってしまう、そんな感覚でした。


3、アメフトとの出会い 高校生〜大学生

高校生からは「突き」があるという理由で剣道を辞めました。

(喉元を突く技が高校から解禁になるのが怖かった笑)


見学でアメフト部を見たときにかっこいい!と思い、即入部しました。

アメフト自体はあまりうまい方ではなかったですが、

ここで「筋トレ」との出会いがありました。


朝練でひたすらベンチプレスをやることにハマりました。

まだこの時は

筋肥大には毎日やらない方が良いことや、

他のトレーニング種目とかは全然知らなかったので

ベンチプレスだけをやってましたね笑


そのおかげ?で

50kg→95kgまで挙がるようになりました。


アメフトの方は全国大会に出場するところまで行って引退。


大学へは体育推薦で入学しました。

初めてトレーナーが付いて

全身のウエイトトレーニングを習いましたが、

今思うと、全く内容を理解していなかったので

ただダンベルを動かしてるだけでしたね。


20才の時にベンチプレス100kgを達成しました。

大学の時はとにかく走るので、体重が増えなくて

MAXでも80kgくらいでしたね。


また1年生から3年生までラップの活動をしていました。

渋谷のクラブでライブをして、寝て、部活に行く、といったことをしていました。

興味があるとやらずにはいられない性格なのかもしれません。

漠然と

将来的にはサラリーマンはやっていないだろう

と思っていましたが、

4年生の時アメフト部のキャプテンをやっていて

チームを昇格させることに夢中だったため、

1社目に受けたところで内定をもらった瞬間

すぐに就活を終了しました。笑

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その甲斐(?)あってか

チームを昇格させることができました。

4、人生最大のバルク期 社会人アメフト時代

社会人になってアメフトの強豪 相模原RISEの

トライアウトを受けて奇跡的に合格。

ここで自分の身体がいかに小さいかを感じました。

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スター選手が多く、

技術的にもとても試合に出してもらえる

レベルじゃなかったので、

とにかくフィジカルモンスターになってやろうと決意。

2年目のオフシーズンに肉体改造計画を実行しました。

今みたいにYouTubeに情報もなく

周りにトレーニーもいなかったので、

筋トレ系の雑誌を定期購読して読んだものをジムで試す

ということをしてました。

飲みにも行かず、週7回ジムにいく。

毎食限界まで食べて、寝る前にプロテインを飲んで寝る。

朝に生卵を8つ飲む。

トレーニングをとにかくハードに行う。

こんなことを3ヶ月行いました。

すると体重は90kgになり、

ベンチプレス150kg

スクワット200kg

デッドリフト210kg

という状態になっていました。

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この状態でチームに合流したのですが、

なんと全く動けず。

それは大きくなりすぎたトランクスそのものでした。

少し体重を落として結局83kgくらいで落ち着きました。

ただここで大きくなっておいたことは

後でとても役に立ちました。

(これを読んでいる20代の方は、

20代のうちにデカくなっておこう)

5、製薬企業からパーソナルトレーナーに

社会人アメフトはとても楽しかったですが

試合に出て活躍するイメージが湧かず、

引退しました。

そしてこれからはお金を稼ごう、と決めて

すぐに転職し、製薬企業に入社します。

製薬企業に入ったことで医療の知識や

論文の読み方などを知れたので本当にいい経験でした。

転勤で高知県に移住し、二年間高知県で過ごしました。


高知でもハードコアなジムを見つけて

ウエイトトレーニングを一人で毎日やっていました。

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そこで私は気付きました。

年収が高いと言われるMRでもこのくらいしか

もらえないのかと。

そこで副業を考えて、

セミナーに行き、少し怪しいと思いながらも契約をしました。

人生初の高額な自己投資です。

そのセミナーはコーチングのセミナーでした。

高額を払って勉強しにいったのは初めてで、

払った以上の価値を得ようとする

エネルギーはこんなにすごいのか!とその時に強く感じました。

(高校の受験の時に全然勉強できなかったのに笑)

コーチング、NLPはとても興味深く、

人間の脳のしくみ、目標を達成するには考え方のコツが

あることを知り、すっかりハマってしまいました。

コーチングの本やビジネス書を読み漁っていました。


この時に初めて、自分の商品で売上を上げることができました。

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無形のセールスの実践を重ねたことが

その後とても力になりました。

また製薬企業での気づきはもう一つありました。

私は生活習慣病の薬を担当していたのですが、

そのほとんどがウエイトトレーニングと食事管理で

解決できる病気でした。


薬は対症療法で、根治治療では無いものが

多いということもその時知りました。

病気になってからではなく、病気にならないように

した方がいいんじゃないか?ということを考え、

自分の大好きだったトレーニングと食事の知識、

そして目標達成に導くコーチングの技術。

これらを活かした仕事がしたい!と考えるようになりました。

そこでパーソナルトレーナーという職業を知り、

調べていくうちに

日本はトレーナーの資格が無くても

活動することが可能とのことでしたが、

念のため、全米NSCA認定パーソナルトレーナーの

資格を獲得しました。


もともとトレーニング本を読み漁っていたので

そんなに難しくはありませんでした。


そして色々調べて大手のパーソナルジムに

転職することに決め、東京に帰ります。


6、パーソナルトレーナー時代 大手からスポーツ特化型トレーナーへ

大手のパーソナルジムでは

一般的なダイエット目的のお客さんが

毎日ものすごい人数入ってきていて、

多くのお客様を担当させてもらいました。


数をこなすということは大事だと思いました。

配属された月に、それまでの物販記録に

ダブルスコアの差をつけて一位を獲得しました。


ここで無形のセールス技術はとても役に立ちました。

この時に自身もコンテストに出場し、

NPCJのメンズフィジークで入賞を3度経験しました。

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自身のコンテスト経験は食欲のコントロールや

見た目の追求という意味でとてもいい経験でした。


そしてある程度経った時に、

トレーナーとしてもっと専門的なトレーニングをしたい、と考えるようになりました。

そう思っていたところにFacebookでメッセージが、

アメフト界の神、某K口氏のジムから

話を聞いてみないか?という内容でした。

そこはアスリートに特化したジムで

まさに求めていた環境だったので、

そこに入社することにしました。

そのジムのメソッドは独特なもので

今までウエイトトレーニングで疑問に感じていた

【連動性】【パフォーマンス】を補完する内容でした。

ここではプロ野球選手や、Jリーガー、オリンピック選手など

一流アスリートの方に携わらせていただき、大きな経験になりました。

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7、今までの経験を活かすベンチャー企業へ

そのジムでの経験を経て、考えていたのが

「自分のジムをやるかどうか」です。

そんな時に大手ジムの時の同期のトレーナーから連絡がきました。

うちのジムに来ませんか?という内容。

そこで
その時まだ社員3名だったベンチャー企業の社長との出会いがありました。

とても上昇志向の強い社長で、ここからこのジムを大きくすることを
体験してみたいと考え入社しました。

私が入った時に、

セールスのスクリプトや商品構成が全く無かったので

入ったときに全て作り直させてもらいました。

すると成約率は70%以上を常に超える状態を維持し、

2店舗から3年で40店舗にまで拡大しました。

ここの拡大に携われたことで

トレーナーにセールスを指導することや、

100名を超える芸能人、モデルさんの指導経験など

いろんな経験をさせていただきました。

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もうここで自分が成長できることはもうない、

そう考え、独立をすることに決めました。

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8、合同会社LIMIT設立

33歳最後の日にA社を卒業し、

合同会社LIMITを立ち上げました。

ここでは

お客様だけでなく、そこで働くトレーナーも

幸せになれるような環境をつくることを意識しています。

現在3店舗、今年6店舗になる予定です。

9、GOAL-Bにジョイン

そしてここで予想外の出来事が、、

コーチングと筋トレをまっすぐに追い続けている

AKIO BLOGさんの存在はもちろん知っていましたが、

ふとAKIOさんがTwitterで人財募集のツイートをしたのを見かけたんです。

その時そんなに深く考えずに

ぜひ一緒にやってみたいですとDMしていました。

その1週間後にはAKIOさんと出会い、

一緒にやることを決めました。

ここまで読んでくれたあなたなら薄々感じているかと思いますが、

村岡の人生の価値観とGOAL-B

ばっちり合ってると思いませんか?笑


GOAL-Bは副業大歓迎なので

会社経営しつつで大丈夫とのことだったので

とてもスムーズにジョインしました。

GOAL-BではCHROを任せていただいたので

がっつり働きたいと思います。


10.今後のしたいこと

私はトレーニングとコーチングで人生がとてもいいものになりました。

健康寿命を伸ばしたり、人生でいろんなことを楽しむ為、

したいことを明確にするためにも

この二つはとても効果的だと考えています。

日本の義務教育にウエイトトレーニングとコーチングを

入れるべきだと本気で思っています。


この二つをより多くの人に届けて

自分で正解を決めて、楽しく生きる大人を

増やしたいという思いが今一番思うことです。

しかしどんなに美味しいラーメンでも

存在を知ってもらわないことにはみんなに食べてもらえません。

より多くの方にいいものを届けるには

影響力をつける、仲間を作ることが大切だと思っています。

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11. 最後に

今回は村岡大樹の自分史をお話ししてきました。


これからも常に成長することを意識して

自分自身挑戦していきたいと思います。

最後まで読んでくれた方ありがとうございました!

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株式会社GOAL-B 執行役員。プロコーチ。事業家。 大学時代アメリカンフットボール部で主将を務め、チームを昇格に導く。 大学卒業後、外資系製薬会社に入社。副業としてコーチングを始める。 コーチングとトレーニングを合わせたパーソナルトレーニングに興味を持ち、パーソナルトレーナーとなる。 大手パーソナルジムでは、入社した月に全国売上ランキングで1位を受賞。 その後パーソナルジムのベンチャーに転職し、2店舗から40店舗までの拡大に貢献した後、独立。現在パーソナルジム3店舗を経営。 2022年1月 GOAL-Bの理念に共感しジョイン。